軽井沢移住は親の介護と駐車場代(笑)。上田で働くことで、長野県内を向いて働く場を得る(サポーター:ta_z8さん)
移住プロジェクトスタートは2002年
今年の5月のGWで、長野県民になって20年目になりました、ta_z8です。
私が移住したのは2004年のGW。移住の理由は、横浜市内の実家で一人で暮らす76歳の父の介護のための同居が必要になったこと、自分が住んでいた横浜市上大岡駅近くのマンションの駐車場代が月7万を超え家賃と合わせると20万近くになってしまったこと。
父との同居については、横浜市内に2世帯住宅で駐車場を持てる広さとなると、まったく予算がたたなかったこともあり、当時の職場のある東京の浜松町へ60分前後で通勤できる郊外の場所を移住先候補として探すことにしました。
その候補地探しでは、賃貸住宅を探したのですが、それは、移住したらまず2年ぐらい賃貸住宅でトライアルし、その場所に馴染めそうだったら地域にも詳しくなってるので、付近で土地を見つけて家を建てる、というプランを家族会議で決めました。
そして移住先探索開始から、1年経ってもピンと来る場所に巡り会えず、さらにエリアを県外に広げ始めたところで、仕事仲間でもありWEBデザイナーの友人が、子供が生まれたタイミングで、緑豊かな環境で子育てしたいと、軽井沢の信濃追分に移住。彼から都内にも新幹線で1時間ちょっとでいけるよーって話を聞いて、引越し祝いもかねて早速訪ねました。
友人宅は寝室の窓から浅間山を一望でき、近隣を気にすることなく、子供やペットとのびのびとした暮らしぶりで、それでいて首都圏に比べて格安の家賃(3LDK+Sの築20年の2階建ての住宅で駐車場もついて月6万)で、これは妻にも自分にもインパクトがあって、いきなり軽井沢が選択肢の最上位になりました。
そして実際の通勤時間を測るために、軽井沢の貸別荘を借りて1週間ほど都内に通勤してみたのですが、現状のラッシュの京急線で立ちっぱなしの40分よりも、ゆったり座れてノートPCで仕事しながらの1時間10分のほうが遥かに快適なんですよね。
こうして居住候補は軽井沢にきまり、要望にあった物件も、小さいけどフットワークの軽い女性営業の方がいる不動産屋さんが見つけてくれたのが2003年の秋。さっそく大家さんにお会いし、飼い猫がいるので、猫を貸家で飼って良いかを確認したら快諾いただけたので、そのまま契約、2004年5月から住むことになりました。こうして、軽井沢の移住生活&新幹線通勤の日々がスタートしました。
その後、2年の貸家生活を経て、家族が軽井沢の暮らしに染まったので、3年目から土地と建築家探しを開始。1年後、いい土地と建築家に出会えて2世帯住宅が竣工したのが2007年の12月でした。しかし父は心筋梗塞で2008年末に他界。できたばかりの2世帯住宅に暮らせたのは、1年もありませんでした。2世帯住宅を検討されているかたへのアドバイスですが、結局、まだ親が元気で介護が必要になる前に建てないと無駄になってしまいます。1年でも早いほうが良いと思いました。
前職をやめたきっかけは、東日本大震災とネットインフラの拡充
父が他界し介護から開放されて、はっきりしたのが自分と妻が暮らす時間をほとんと共有できてないという事実でした。父の介護があったときは、そのことを共有してたので、気づいてなかった。そして、それを強く実感させられたのが、東日本大震災でした。
震災が発生したあと自分が軽井沢に帰宅できたのは、翌日の午後。都内から高速バスで佐久までもどって、佐久で妻にクルマでピックアップしてもらったときに、妻と自分の、この2日間の時間の流れの大きな隔たりでした。のんびりした春の日差しの中、いつもどおりに過ごしてた妻と、公共交通機関がすべて止まり、国道を徒歩で帰宅する人たちで、あふれていた都内のカオスなありさまとの大きな違い。
このままこのすれ違いを続けてはいけないなと強く思わされました。今なら、長野にいながらテレワークで東京の仕事を続けるという選択肢もありますが、当時はまだ、労務管理的に制度化がされてなかったので、曖昧な現場運用みたいになるのが嫌だったので退職を決意。2012年の3末に前職を退職しました。
そこから2年間ほどは、前職のつながりの仕事をしつつ軽井沢の地域のイベント運用に関わったり、地元の人脈や仕事関係をつくることに注力しました。
その一つが、上田に2012年に開設された長野県初のコワーキングスペースのHanalab常田です。ここでの出会いが、その後10年の自分の仕事のベースになりました。2014年、hanalabで出会った人脈で創業した株式会社ハムラに自分も参加、上田は新しい仕事場になりました。
ハムラで長野県からの仕事として、北は飯山、南は天龍村まで長野県内全域の中小企業へ専門家として派遣されたおかげでいろんな人や土地を知り、このARECを通じて、上田市内の信大や長大とのつながりもでき、両学校の大学生との関わりも増えました。
上田は、戦国時代の真田氏がそうであったように、東北信、中南信へのアクセスがすごく良いんです。松本に行くなら、三才山峠をこえて1時間、諏訪に行くなら和田峠を超えて1時間、更に富士見や茅野方面にいくなら、大門街道をつかって1時間ちょっと。つまり長野県内の要所なんですね。ハムラは2017年に発展的に解散しましたが、ハムラによってつながった県内の中小企業向けの広報広告宣伝のコンサルティング業務は、私が引き継ぐ形で今も継続しています。
最近、よく聞かれるのが、なぜ上田に住まず、軽井沢に住んでいるのか?ということですが、新幹線通勤するときに上田から都内へは、ほぼ90分かかります。それが2004年当時の自分には大きな違いでした。上田市内は平坦な場所が多いので、自転車での移動や徒歩移動が便利ですし、ちょっと中心市街地を離れれば里山的な風景がありますね。テレワーク主体で働き、週に一度都内にでるだけならば間違いなく上田市街がおすすめです。
これから移住を考える方は、ぜひお試し移住をつかって、上田においでください。